【な】
内藤昌豊
(ないとうまさとよ)
1524〜1575 武田家家臣。武田24将の一人でさらに上の武田4名臣の一人とされる。長篠の合戦で戦死。
直江兼続
(なおえかねつぐ)
1560〜1619 上杉家家臣。上杉景勝の右腕として優れた手腕を発揮する。豊臣秀吉が仲を裂こうとしたが、上杉景勝の兼続に対する信頼が厚く失敗に終わった。
長野業正
(ながのなりまさ)
1491〜1561 関東管領山内上杉氏家臣。北条家の圧迫により主家が上野から撤退し、長尾景虎を頼った後も箕輪上に立て篭もり徹底抗戦する。武田信玄もたびたび箕輪城を攻めるも、見事な采配の前に落城させることはできなかった。
鍋島直茂
(なべしまなおしげ)
1538〜1618 龍造寺家家臣。龍造寺家を盛り立て活躍するも、当主・龍造寺隆信は直茂を重く用いることはなかった。結果、直茂が止めるのも聞かず出陣し戦死する。次の当主となった龍造寺政家は覇気がなく、直茂の独断による豊臣秀吉へのの降伏により所領を安堵された。
 
【に】
仁科盛信
(にしなもりのぶ)
1557〜1582 武田信玄の5男。長篠の合戦で敗北すると、穴山信君ら頼りになるべき一門が次々寝返る中、果敢にも高遠城に篭城し、破格の条件での降伏勧告をはねつけ自害した。
丹羽長秀
(にわながひで)
1535〜1585 織田家家臣。信長の股肱として活躍する。柴田勝家と共に織田家の筆頭重臣であった。本能寺の変後、織田家の行く末を案じ、羽柴秀吉に属するが、戦後羽柴秀吉の増長を目の前にし、恨みを残し病死した。
 
【ぬ】
沼田祐光
(ぬまたすけみつ)
津軽家家臣。細川藤孝の家臣だったが津軽で津軽為信と会いその家臣となる。以降、軍師として津軽為信を補佐した。
 
【ね】
 
【の】
能島武吉(のしまたけよし) 1533〜1604 瀬戸内海に本拠をおく、村上水軍の総帥。毛利家から石山本願寺に救援物資を送る際、これを阻止しようとする織田家の九鬼水軍と戦い勝利する。ところが勝利後、鉄甲船の登場により制海権を奪われてしまう。